こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

ゲゲゲの女房

otello2010-11-23

ゲゲゲの女房


ポイント ★★
監督 鈴木卓爾
出演 吹石一恵/宮藤官九郎
ナンバー 279
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


「貧乏は平気です、命まで取られませんけ」と言い放ち、食べ物にも困る日常のなかで漫画に没頭する男。そんな男とは知らずに見合いの5日後に挙式、嫁いできた妻。愛をはぐくむ間もなく夫婦になった男女が、苦労を共にしお互いを知るうちに絆を強め、糟糠の妻ならではの複雑な思いをかみしめるというような展開を期待していた。しかし、映画は懐古趣味に走るでも窮乏生活を笑い飛ばすでもなく、ひたすらふたりの暮らしを淡々と追い続ける。エピソードの作りが甘く、登場人物の喜怒哀楽にも深く踏み込まないせいでヤマ場の乏しい気の抜けたコーラみたいになってしまった。


1961年、島根県の酒屋の娘・布枝は東京の貸本漫画家・茂と結婚する。ところが貸本業界は斜陽化著しく、茂の得意な妖怪ものも読者に受けないためにほとんど収入はない。それでも一心にペンを握る茂の仕事を手伝ううちに、布枝の心にはいつしか茂の妻としての覚悟が芽生えていく。


恩給が取り上げられていた失望、さらに原稿料が値切られる現実。布枝はそうした予想外の困難に出会ったときに鋭い視線を茂に向けるだけでつい我慢して不満を飲み込んでしまう。不機嫌な表情を見せることで彼女の胸の内は察せれれるものの、それ以上に物語は膨らんでいかない。たとえばカネがなくてパンの耳や野草を使った料理を食卓に並べたりするが、その過程をディテール豊かに描けば貧しさの中にもゆとりが感じられるのに、映像は登場人物の表層をなぞるのみ。辛い日々にも希望は捨てずにいたとか、茂の変人ぶりなどに焦点を当て、もっと生の感情を訴えるべきだろう。


◆以下 結末に触れています◆


ただ、布枝が茂の腕が欠損した左袖を握りしめるシーンのみは、夫婦の在り方を見せられているようで美しい。男女が正面をむきあうのが「お見合い」ならば、同じ方向に歩いて行くのが「夫婦」。布枝と茂の気持ちが初めて一つになった象徴的な場面だが、そこに至るまでの描写があまりにもぬるすぎた。NHKドラマのように資金が潤沢に使えないのは分かるが、せめて宮藤官九郎に脚本を任せていればもう少し退屈せずに済んだはずだ。