こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

メランコリア

otello2011-10-10

メランコリア Melancholia


ポイント ★★★★
監督 ラース・フォン・トリアー
出演 キルスティン・ダンスト/シャルロット・ゲンズブール/キーファー・サザーランド/シャーロット・ランプリング/ジョン・ハート
ナンバー 240
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


うわべだけの笑顔や祝福は、終末の前には何の意味も持たない。みな、これからも人生は続くフリをし、よき友、よき家族であろうとするが、彼女は知っている、もはや逃れられない運命が間近に待ち受けている事実を。他人の好意にあえて泥を塗り、期待を裏切り嫌悪感を抱かせて、自分の結婚披露宴を自分でぶち壊すヒロイン。映画は巨大惑星の衝突が数日後に迫った地球上で、最期の時を迎える姉妹の姿を追う。愛や希望などに縋るのは虚しいだけ、そんな虚無感と絶望が深くのしかかる一方、夜空に浮かぶふたつの月の光を全裸で浴びるシーンは、「1Q84」のパラレルワールドに迷いこんだような豊穣かつ芳醇な感覚にとらわれる。


マイケルと結婚式を挙げたジャスティンは披露宴に遅刻した上、ケーキカットをキャンセルするなど、場所を提供したジョンとクレアの姉夫婦を怒らせてばかり。ついには会社の社長やマイケルにまで愛想を尽かされてしまう。


ジャスティンは一種の躁うつ病だが、仕事では“スチールブレーカー”と呼ばれるほどやり手で、ある種の予知能力を備えているらしい。きっと今まで我慢して生きてきたのだろう、それが惑星の接近で一気に解放され、わがまま放題を繰り返す。逆にクレアたちはあくまで良識ある人間として振る舞う。荘厳で艶めかしく時に崇高な美すら感じさせる映像の数々はこの世の終わりを象徴するが、逆に人間の卑小さを強調するようで、ジャスティンとクレアの対象的な心構えが魂の存在を浮き彫りにする。


◆以下 結末に触れています◆


ジャスティンは「地球のほかに生命はない」と断言する。つまり地球が消滅すれば、宇宙は観測する者がいないただの空間になってしまう。それはまさに「無」。結局、物語は何の救済ももたらさないが、破滅を目前にして人はどう行動すべきかを考えさせてくれる。やはり、手をつなぎ見つめ合う誰かが一緒にいてくれる、それだけで死を受け入れる気持が安らぐのは確か。そして、無になることで宇宙と同化できるのだ。