こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

KOTOKO

otello2012-03-11

KOTOKO

オススメ度 ★★★
監督 塚本晋也
出演 Cocco/塚本晋也
ナンバー 59
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています

悲鳴、絶叫、接触、落下…。世の中に溢れるあらゆるノイズは暴力的な過剰さでデフォルメされ、鼓膜を通じて脳髄で反響する。それはヒロインの繊細で敏感な感覚の再現、耳を塞ぎたくなるギザギザしたサウンドは耐えがたいほどの苦痛となって見る者を苛んでいく。映画は、世界が二つに見える幻覚とひとり息子を他人に奪われる妄想に憑りつかれた女が己の居場所を探して彷徨する姿を描く。正気でいると死にたくなる、狂気に走ると誰かを傷つける。そんな、壊れていく自分を見つめる彼女と、彼女の歌に救済を求める男の、行き場のない愛が哀しくも切ない。

赤ちゃんの大二郎と暮らす琴子は、日々被害妄想に悩まされ、世間とうまく付き合っていけない。挙句に幼児虐待を疑われ、大二郎は沖縄の姉の元に引き取られていく。ある日、琴子の前に、琴子の歌に魅せられたという田中が現れ、彼女のアパートに転がり込む。

琴子の不安定な心は大二郎を守ろうとする母性が強すぎるからなのだろう、東京と東京の人混みが発する毒が琴子の精神を蝕み人々の何気ない視線にすら過敏に反応してしまう。しかし、歌っているときだけは正常でいられるのは大二郎を忘れられるからなのか。沖縄の実家で親族や大二郎と過ごしている間も生気を取り戻している。一方、作家として成功しているらしい田中は、琴子の歌を聞こうと理不尽な仕打ちに身もだえしている。血まみれになって慟哭し、魂をむき出しにして人生の苦悩と情念を謳いあげる琴子を演じたCoccoの鬼気迫る表情には、背筋が凍る思いがした。

◆以下 結末に触れています◆

やがて、田中の献身のおかげなのか、世界がひとつになった琴子は幸せをつかんだ様子。ところが、田中が去り再び大二郎とふたりきりになると、また幻覚と幻聴に襲われる。もはや大二郎を守りきれない、だが、敵意に満ちたヴィジョンに背を向けるのではなく彼女なりの方法で解決を図る。豪雨の中で身をくゆらせ、すべてを洗い流そうとするように踊る琴子の肉体には生きるつらさが凝縮されていた。成長した大二郎は琴子の幸福な幻影なのかそれとも現実なのか、いずれにせよ、もう大二郎を守る必要がなくなったことで彼女は安寧を取り戻したに違いない。。。

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