こちら側に本体はいないのに、鏡の中では不気味な影が動いている。鏡像の中で襲われると、自分の体が切り刻まれている。物語は、その名を5回呼ぶと現れるという殺人鬼が現代によみがえり、人々を惨殺していく過程を描く。子供にキャンディをあげようとして警官に嬲り殺しにされたからか、復活後は圧倒的なパワーで警官を殺していく。過去の新聞記事では女と火事にも関係している。だが、根本にあるのは人種差別と格差、そして権力や己を見下したものに対する怨嗟。100年以上前から続くさまざまな怒りや恨み、悲しみや屈辱が積み重なり混ぜ合わさり悪意の塊となって人間にとりついていく様は、真綿で首を締めるような息苦しさだ。急なショットの転換やショッキングな効果音に頼らず、血の滴りや見開いた眼で恐怖を伝える映像がスタイリッシュだった。
新作のアイデアに困っていたとき、偶然耳にしたキャンディマン伝説をテーマに取材を始めるアンソニー。閉鎖された住宅地で、かつてキャンディマンに遭遇したウィリアムから詳しい話を聞く。
蜂に刺された傷が爛れ、腕全体に広がっていくアンソニー。同時に幻覚も見るようになる。個展で彼の自信作を見た客や関係者がキャンディマンの名を唱え、次々とフックで命を落としていく。ところがアンソニー自身はキャンディマンに決して襲われることはない。高層アパートのたくさんある窓のひとつの中で、インタビューを終えた批評家が血祭りにあげられるシーンは非常にユニークで、殺人事件などこの世の中にはありふれた出来事であることを象徴していた。
◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆
アンソニーはその後も町の過去や言い伝えを調べ、キャンディマンは何年かおきに現れてはその時代の誰かにとりつき事件を起こしていた事実を知る。そして、今回彼に選ばれたのはほかならぬアンソニー自身。殺人鬼に追い回される恐怖よりも、意思に反して自分が殺人鬼になってしまう恐怖。アンソニーがー体験する戸惑いや不信、そして絶望がイマジネーション豊かに再現されていた。
監督 ニア・ダコスタ
出演 ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世/テヨナ・パリス/ネイサン・スチュアート=ジャレット/コールマン・ドミンゴ
ナンバー 190
オススメ度 ★★★