レディ・イン・ザ・ウォーター LADY IN THE WATER
ポイント ★
DATE 06/9/30
THEATER 109グランベリーモール
監督 M・ナイト・シャマラン
ナンバー 165
出演 ポール・ジアマッティ/ブライス・ダラス・ハワード/ボブ・バラバン/ジェフリー・ライト
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています
シャマラン監督の作品なのに、どんでん返しのなかったのが最大のどんでん返しだった。韓国系住人一家に先祖から伝わるおとぎばなしがなぜかフィラデルフィアで再現されるという不思議、そしてそのおとぎばなしを特有のミステリータッチで再現するというミスマッチを狙って失敗している。しかも、物語の中で、世界を変えるきっかけになる作家をシャマラン自身が演じるという愚まで犯す。シャマランがテロと戦争に蝕まれた世の中に一石を投じたい気持ちはわかるが、陳腐な童話という形で描いた上に何の教訓も残さない安上がりな映画では、もはや才能の枯渇を疑われても仕方あるまい。
アパートの管理人クリーブランドの元に傷ついた少女が逃げ込んでくる。少女はストーリーと名乗り、自分は水の妖精で緑の魔物に追われているが、未来をすばらしいものに変える可能性がある若者に直感をあたえるためにやってきたという。
クリーブランドは韓国人老婆が語るおとぎばなしのキャラクターを、なぜかアパートの住人に当てはめる。そして多少の勘違いはあっても、最後にはその役割がぴったりと当てはまる。いくらおとぎばなしでも、主人公の協力者が最初からすべて同じと場所にそろっているなどという安易な設定は聞いたことはない。桃太郎でも協力者探しは旅の途中だったぞ。
映画中の出来事はすべて、プール、クリーブランドの管理棟、アパート、庭といったアパートの敷地内でおきる。そしてストーリーの命を狙う緑の狼のような魔物の造形のチャチなこと。あまりにばかげた脚本に出資者が見つからず、低予算で収めるためには仕方なかったのだろう。全体の設定自体がありえない空想だからこそ、ディテールのリアリティで説得力を持たせるべきなのに、おとぎばなしなのだから多少の矛盾に目をつぶってくれという姿勢では、シャマランのストーリーテラーとしての資質を疑いたくなる。