キング 罪の王 THE KING
ポイント ★★★
DATE 06/8/30
THEATER 映画美学校
監督 ジェームズ・マーシュ
ナンバー 141
出演 ガエル・ガルシア・ベルナル/ウィリアム・ハート/ローラ・ハーリング/ベル・ジェームズ
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています
悪魔というのはおそらくどんなときにも無表情なのだろう。殺人も近親相姦も冷笑ひとつ浮かべることなく淡々と実行に移し、信心深い人間を破滅に導く。人間の常識から見て「悪」をなすことがすなわち常態なのだから、いちいち悪意を見せたりはしないのだ。絶望や怒りといった負の感情こそが復讐のエネルギーなのだが、主人公はそれを一切表情に出すことはなく、まるで感情の回路を切断したかのように手を血に染めていく。平和な日常が少しずつ切り取られ、気が付いたときにはどうしようもなくなっているという恐怖が、映画を見終わって時間が経つほど切実になっていく。
海軍を除隊したばかりのエルビスはかつて母と自分を捨てたサンダウという男に会いに行く。サンダウは今では牧師として地域住民から信頼を集め、妻と息子娘の幸せな家庭を築いていて、エルビスを拒絶する。だが、エルビスはサンダウの娘・マレリーに近づき、彼女を妊娠させる。
サンダウ一家は進化論を否定し、宇宙の一切は神がデザインしたものだというキリスト教原理主義。にもかかわらずエルビスの存在は過去の過ちとして済まそうとする。聖職者などという職業も一皮剥けば胡散臭い人間であるということをエルビスという青年を通じてこの作品は鋭く問う。物語が進むうちに、不誠実な人間たちに制裁を加えていくエルビスこそ、本当は神に近いように思えてくる。
要するに、神も悪魔も立場が違えばそのポジションも逆転するということだ。売春婦と交わり子をなすような男が聖職者となる現実。その忌まわしい過去に最初から蓋をせず息子として受け入れていれば、エルビスは復讐など計画しなかっただろう。神などという概念は所詮は人間が作り上げたもので、裏切りに対する恨みという人間の自然な感情の前では無力に等しい。エルビスの冷酷な所業を支えている強固な意思こそ、人間が本来持っている強さに思える。