エッセンシャル・キリング Essential Killing
ポイント ★★★*
監督 イエジー・スコリモフスキ
出演 ヴィンセント・ギャロ
ナンバー 94
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています
孤独と絶望、寒さと飢え。男はこれらの精神的肉体的困難と直面しながらひたすら逃げる。地図もコンパスもなく、自分がどこにいるのかもわからない。それでも生きのびるために歩き、殺し、隠れる。映画は捕虜となったタリバン兵が脱走、安全な場所を探してさまよう姿を追う。その過程で、アリ塚のアリを食べ、樹皮を噛み砕き、野生の木の実を頬張り、生きた魚にかぶりつく男の、すさまじいまでの生への執念を描き切る。さらに、乳児を抱えた母親の乳房にむしゃぶりつき彼女の母乳を吸いつくす行為は、人間の体は栄養の補給なしでは維持していけない厳然とした事実を示すとともに、生命の原点回帰ともいえるシュールだが懐かしい光景だった。
米軍ヘリに捕まったムハンマドは、移送中の車両事故で車外に放り出される。裸足のまま雪原に身をひそめた後、停車中の車から拳銃と衣類を奪い、追手をまくために雪深い山に入っていく。やがて米軍の山狩りをかわし、トラックに忍び込み、民間人が暮らすエリアまで足を延ばす。
疲れ果て傷ついても、決してくじけないムハンマド。情報は一切ない状況下では、逃亡を続けることこそが彼にとっての闘いなのだ。必要とあらば容赦はしないが無用な殺人は避ける。その手負いの虎のようなまなざしが彼の不屈の魂を物語る。そんなムハンマドにカメラはずっと寄り添い、彼の息遣いが聞こえるような距離感で、恐怖という感情、苦痛という感覚を超越した戦士の表情をリアルにとらえていく。彼の口からは一切言葉は発せられない。そこからは、どんなことがあっても生きて帰る彼の決意の固さがうかがえる。
◆以下 結末に触れています◆
ハリウッド映画ならば敵占領地域で孤立した米兵はたいてい脱出に成功するが、ムハンマドは己の足だけで故郷を目指さなければならない。途方もない道のりの途中、脳裏に浮かんだ青いヴェールの女は彼の妻なのだろう、きっと待ってくれているはずの家族のために消耗した体を鞭打つ。安易なハッピーエンドにはなりえない、戦争の悲劇を皮膚感覚で伝える作品だった。