こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

せかいのおきく

クサいとさげすまれ、もっとカネをよこせと殴られ、仕事が遅いと罵られる。それでも我慢して、地面にこぼれた糞尿を手でかき集める。物語は、都市部の共同便所から糞尿を買い農村で肥料として売る汚穢屋と武家の娘の交流を描く。社会の底辺に生きるような男たちは固定された身分の中で生きるしかない。落ちぶれた武士の娘は子供たちに字を教えて細々と暮らしている。時は幕末、外交や政治に大変革が起きていても、人はモノを食べ排泄する。それは江戸の庶民も同じ。カメラは貧乏長屋の便所に集う人々に焦点を当て、生きる意義を問うていく。被差別階級の男と武士の娘の身分違いの恋にリアリティは薄いが、「世界」を意識する気概は、来るべき新時代への希望を象徴していた。墨を流し込んだようなモノクロの映像は黒澤明の時代劇を見ているようだった。

矢亮に誘われて汚穢屋になった中次は、お役御免となった武士・松村の娘・おきくと知り合う。おきくの住む長屋は、矢亮たちの糞尿買い取りルートのひとつだった。

集めた糞尿を小舟に移し郊外に運んでは、そこでまた肥桶に汲み替え荷車で百姓家まで運ぶ矢亮と中次。プライドなどという概念のない矢亮はどれほどひどい扱いを受けても、人生はそんなものと抵抗もせず受け入れている。一方の中次は封建制度に疑問を持つわけではないが理不尽な出来事には一応腹を立てる。そしておきくは、父が無念の死を遂げたことで自立せざるを得なくなる。食べるのがやっと、極貧生活と言ってもいいだろう。彼らの日常と糞尿を通じて見えてくるのは、貴賤美醜にかかわらず誰もが排泄するという、きれいごとではない人間の真実。中次たちの前で、自分のモノは混じっていないと主張するおきくの女心がかわいらしかった。

◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆

おきくと中次はさらに心を通わせていく。少しずつ時代の潮目は変わりつつある。おきくの寺子屋に通い字を学び始めた中次の目には、世の中の仕組みを知り既成の価値観に疑問を持ち個人が能力に応じた働きのできる社会への期待が満ちていた。

監督     阪本順治
出演     黒木華/寛一郎/池松壮亮/眞木蔵人/佐藤浩市/石橋蓮司
ナンバー     79
オススメ度     ★★★


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