こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

死にぞこないの青

otello2008-09-07

死にぞこないの青


ポイント ★★★
DATE 08/7/9
THEATER 映画美学校
監督 安達正軌
ナンバー 165
出演 須賀健太/谷村美月/城田優/入山法子
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


傷ついた少年の心のように、右半分がつぶれ顔に両手を拘束された青い少女の幻影。彼女は少年の分身、彼の弱さを補うもうひとりの自分。その怖ろしい姿に最初はひるんでいたのに、少年はやがて彼女を受け入れアドバイザーとして行動を共にするようになる。明るく元気だった子が、たいした理由もなく突然先生やクラスからいじめの対象にされる不安と恐怖、そして克服するには誰かに背中を押してもらう必要があることをホラータッチで描く。少年の中のネガティブな思考と、闘わなければ変わらないという気持ちが交互に現れる心理が繊細に再現される。


6年生のマサオのクラスに新任の先生が着任する。生き物係を決めるときに不正をしたと誤解されたマサオは先生から執拗に攻撃され、クラスメートからも白眼視される。そんな時、マサオの前にアオという幽霊が姿を現す。


マサオが、妄想の中で復讐を現実のものとして実行していくうちに、アオの外傷は薄れ、両手が動くようになっていく。マサオを縛っていたのはマサオ自身であったかのように。いじめられる原因は被害者側にもあり、己を否定的に捉えるとその考えが態度に出て周囲に感染する。その空気は不満の捌け口を常に求めている人間に敏感に伝わる。理不尽な扱いに対しては、あきらめこそが最大の敵なのだ。


ただ、クラスメートに噛み付くというのはまだしも、先生の家に忍び込んだり、逆に先生がマサオを殺そうとしたりするなどストーリーに飛躍もある。正反対の別人格が唆すというのもありふれたパターンで、溺れる少年は先生の記憶だったというドンデン返しもインパクトにかける。それでもアオの暴力性をマサオが引き受けることでアオを癒していくというのは、マサオもまたアオの影響力から逃れようとしている証拠。自信を取り戻したマサオにもはやアオは必要なく、元の体と自由を取り戻したアオにマサオは別れを告げる。それは姉を失ったという過去のトラウマと、仲間はずれという現在の苦悩からの解放。緑濃い森の中でマサオが再生するシーンは、いじめに苦しむすべての子供たちへの応援歌のように思えた。

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