こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

コララインとボタンの魔女

otello2010-01-30

コララインとボタンの魔女 Coraline


ポイント ★★*
監督 ヘンリー・セリック
出演
ナンバー 24
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


友達はいないし両親はかまってくれない。見知らぬ土地に引っ越してきた少女が退屈と孤独のなかで、好奇心ばかりを募らせる。そんな彼女が迷い込んだのは、やさしい両親と素晴らしい食事と美しい庭、そして楽しいサーカスが心を躍らせてくれる家。壁に埋め込まれた一枚のドアが、つまらない日常から夢のような暮らしにいざなう入り口になっている。物語は二つの世界を行き来するうちに、何も考えなくて済む生き方と、多少の不満はあっても自分で判断できる自由のどちらがより人間には大切かを問う。


人里離れた屋敷に両親とともに移ってきたコララインは、使われていない部屋の壁に小さなドアを見つける。その向こうは塞がれていたが、夜中にネズミを追ってドアを開けると、優しいママが温かいディナーを作って待っていてくれた。


こちら側の世界と向こうの世界をつなぐ狭いトンネルは産道の象徴なのだろう。こちら側は思い通りにいかない人生、不安も危険もない安らぎに満ちた向こう側は母親の子宮の中。しかし、一度胎内から出たものは決して逆戻りは許されず、そこに帰ろうとするのは魂を売ることに他ならない。向こう側の人間のように、目にボタンを縫い付けるのは、意思を捨てるという意味。コララインはその欺瞞に気づき、うまくいかないことが多い現実を少しでもましなほうに変えていこうとする。命は親に与えられても己の運命はつかみ取っていかなければならないのだ。


魔女が支配するあちら側は、人間だけでなく動物もみな目がボタンになっている。感情が読めない目は最初は不気味でも慣れると親しみさえ覚える。だが、胸の内を表に出せないのはモノを考えたり行動したりできない証拠だ。コララインはそこに潜む悪意の本質を見抜き、魔女と戦う決意をする。手作りの人形を1コマづつ撮影する昔ながらのアニメに、細心のデジタル3Dを導入したダイナミックかつクリアな映像はシーンごと色彩を変え、非常にファンタジック。特にめまぐるしく変わる登場人物の表情がとても繊細でチャーミングだった。