こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

この国の空

otello2015-08-12

この国の空

監督 荒井晴彦
出演 二階堂ふみ/長谷川博己/富田靖子/利重剛/石橋蓮司/奥田瑛二/工藤夕貴
ナンバー 189
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています

恋愛の対象となる同世代の男は周囲にはいない、ところが心身の「女」は確実に目覚めうずいている。ある日、妻子が疎開した隣人と言葉を交わす。男もまた彼女が発散する瑞々しくも艶めかしい生気に抗いがたい魅力を感じている。大東亜戦争末期、物語はうら若きヒロインが中年男との道ならぬ恋に落ちる姿を描く。爆撃機も素通りしていく郊外の小さな町、物資は不足しがちだが危機感は薄く、食料の心配と空襲警報がなければ“戦時中”のイメージからは距離を置いた生活をしている。その余裕が、本能に忠実に生きようとする彼らの背中を後押しする。そんな人間の本質が、古いフィルム風の質感を持つ映像に焼き付けられていた。今や誰も話さなくなった日本語の“女ことば”が美しい余韻を残す。

母娘2人女世帯の里子は隣家の銀行員・市毛と親しくなる。ひとり暮らしの彼の世話を焼くうちに、里子も市毛もお互い男と女の部分を意識する。その後、被災した里子の叔母が転がり込んでくる。

都心で働く市毛は空襲を受けた人々の死体を数えきれないほど目にし、自身も招集されるかもしれない。「死」が非常に身近なところにあり、不安に脅えている。一方里子たち女3人は命の切迫感がなく、日常の維持に腐心している。母はむしろ里子の心中を見抜き、市毛との駆け引きを教えたりする。年齢的には母のほうが市毛にふさわしい、彼女もまた未亡人として熟れた肉体を持て余しており、本当は自分が市毛に抱かれたかったに違いない。におい立つような脇毛が抑えてきた母の欲望を象徴していた。

◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆

くちづけを迫る市毛、後ずさりする里子。神社の境内でふたりが愛を打ち明けるシーンは、男女の微妙な心理が交錯する。そして迎えた初めての夜、里子から市毛に身を委ねる。そこにあるのは儚さや切なさではなく、女の打算と男の計算。「私の戦争がこれから始まる」という里子の思いが女の深い情念を雄弁に語っていた。ただ、もう少しテンポ良く展開させれば引き締まった印象になったはずだ。

オススメ度 ★★*

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わたしの名前は...

otello2015-08-11

わたしの名前は... Je m'appelle Hmmm...

監督 アニエス・トゥルブレ
出演 ルー=レリア・デュメールリアック/シルビー・テステュー/ジャック・ボナフェ/ダグラス・ゴードン/アントニオ・ネグリ
ナンバー 185
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています

母は働きづめで疲れている、父は失業中で不機嫌、幼い妹弟の世話をしながら健気に暮らすヒロインは、誰にも打ち明けられない悩みを抱えひとりで苦しんでいる。こんな家を出ていきたい、消えてなくなりたい。海岸沿いに停まっていたトラックに彼女は後先考えず飛び乗ってしまう。物語はそんな少女と妻子を亡くした中年男が、失われた関係を構築していく過程を描く。言葉は通じないけれど、哀しみを胸に生きる者同士お互いの孤独は理解できる。いつしかふたりは心を通わせ、道中かけがえのない思いを育んでいく。高いキャビンから望む田舎道のうらぶれた風景が彼らの未来、前に進めば変わるかもしれないと思わせるが結局ほとんど同じ。それでも頼りたい、保護したい。純粋な愛の形がはかなく美しい。

父親から性的虐待を受けているセリーヌは小学校の自然教室を抜け出して長距離トラックの寝台に忍び込む。ドライバーのピーターは気づいてもそのまま運転を続けるが、警察はセリーヌの失踪を事件としてマスコミに流す。

ピーターは新聞やTVにセリーヌの顔が露出しているのを見て、世間の動きを察知する。しかし彼女の事情を知ってしまったからには父親の元に返せない。それ以上にセリーヌは自分を信用してくれている。片言で会話するうちに手をつないでじゃれ合ったり肩車をしたりと、ふたりは仲のいい父娘のようになっていく。いつか別れが来るのは分かっている、だが、この濃密な時間が永遠に終わらないでほしいと切実に願う。ふたりが小さな幸せを共有するシーンの数々は、切なさと優しさに満ちあふれていた。

◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆

コンテナを切り離し、トレーラーだけになってもふたりは行動を共にする。目的地はどこなのか、これからどうするつもりなのか。何も決めない代わりに話題にもしないのは、旅の終点が近づいているのがわかっているから。真実を闇に葬ることでしかセリーヌを守れないピーターの、不器用だけれど断固とした自己犠牲が深い余韻を残す作品だった。

オススメ度 ★★★

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進撃の巨人 ATTACK ON TITAN

otello2015-08-10

進撃の巨人 ATTACK ON TITAN

監督 樋口真嗣
出演 三浦春馬/長谷川博己/水原希子/本郷奏多/三浦貴大/石原さとみ/ピエール瀧/國村隼
ナンバー 189
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています

指先でひょいとつまみ上げた人間を頭から丸かじりする巨人たち。その目に知性の光は宿らず、貪る満足感を表情に浮かべる。それは地球の環境を破壊し尽くした人類に対する天罰のようでもあり、新たな進化へ試練のようでもある。説明は一切なくただこの作品世界の現実として提示されるのみ。“理由”を考えるきっかけとなる文献や記録はなく、登場人物は目の前の巨人への対処法を迫られる。物語は巨人との攻防の中で希望を見出そうとする少年たちの葛藤を描く。為す術もなく喰われるだけの存在から抜け出すためには巨人の弱点を研究し殺す技術を磨き、活路を切り開いていかなければならない。「自分の人生」を手に入れるにはリスクを取る、壁の外を見てみたいという主人公の進取の気性こそが人間を進歩させてきた勇気と理性なのだ。

超巨人に壊された壁の穴から巨人が次々と侵入、エレンの幼馴染・ミカサも犠牲になる。2年後、壁の穴修復の調査団に志願したエレンは巨人ハンターとなったミカサと再会、自らも巨人を倒すテクニックを学ぶ。

壁の中の暮らしは電気や動力源に乏しく中世のような生活様式。社会はある種の統制が布かれ自由が制限されている。農業地帯を巨人に占領されたのちは食料不足が起きている。そんな状況で調査団に入隊した若者は錬度も意識も低い素人集団。むしろ別働隊の作戦を成功させるための囮、次々と自滅に近い形で巨人の餌食になる様子は「口減らし」の意図すら感じさせる。何を信じて何を目指せばいいのかわからないままエレンは巨人に戦いを挑む。

◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆

やがて巨人に食われたエレンは巨人の胃の中で巨大化し超巨人に生まれ変わって巨人たちを駆逐していく。さらにエレンは失った手足が再生された姿で元に戻る。結局、エレンが闘うべき敵は巨人なのか体制なのかそれとも自分自身なのか、ここに至っては秩序は崩壊しあらゆる出来事が混沌の中でうごめいているばかり。後編でしっかり伏線が回収されることを願う。

オススメ度 ★★

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エール!

otello2015-08-08

エール! La Famille Belier

監督 エリック・ラルティゴ
出演 ルアンヌ・エメラ/カリン・ヴィアール/フランソワ・ダミアン/エリック・エルモスニーノ
ナンバー 177
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています

父も母も弟も耳が不自由、ひとり聴覚が正常な少女は彼らと社会との懸け橋になっている。牛の世話から商取引、短気で思ったことを心に留めておけない父と、明るく前向きな母、シャイだけどませた弟の手話通訳を務め、今では一家を支える存在。物語は、そんなヒロインが学校で美しい声を“発見”され、両親の意向を押し切って音楽の道に進もうとする過程を描く。初めて見つけた夢、与えられたチャンスを追ってみたい、けれど育ててくれた父母を残しては行けない。葛藤と逡巡、期待と不安、そして責任感、年齢以上に精神的に大人になってしまった彼女は胸を痛める。一方で、父は新たな挑戦を始め、母は彼を全面的に後押しする。障害をハンディとは決して考えていない奔放な生き方が刺激的だ。

家業の酪農を手伝いながら学校に通うポーラは授業でコーラスを選択、先生に澄んだ高音を褒められる。その後パリにある音楽学校の受験を勧められレッスンを受けるが、村長選に立候補した父は協力せず、母には反対される。

鍋やフライパン、食器や足音、果ては喘ぎ声まで、ポーラの家には生活雑音が満ちているが、ポーラ以外は関知しない。同様に、いくら奥行きと張りがあっても、彼女のソプラノの素晴らしさは家族には分かってもらえない。才能を理解させられない寂しさをゆえ、彼女の決意は揺らぐ。それでも楽しそうに朗唱する姿を見せ、ポーラの人生の主役は彼女自身であると納得させる。娘の幸せを願わない親などいない、そのあたり、親が子離れできないのではなく、実はポーラが親離れできていないのだと思わせる。

◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆

一度はあきらめたオーディション、だが己の本心に気づいたポーラはパリに向かう。彼女は審査員の前でアリアを披露しつつも、見守ってくれる家族にフレーズの意味を必死で伝えようとする。聞こえなくてもいい、でもこの思いは絶対に届くはず。愛と感謝、ポーラの熱唱は、歌は声ではなく、心で歌うものだと教えてくれる。

オススメ度 ★★★

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ヴィヴィアン・マイヤーを探して

otello2015-08-07

ヴィヴィアン・マイヤーを探して Finding Vivian Maier

監督 ジョン・マルーフ / チャーリー・シスケル
出演
ナンバー 175
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています

何人も踏み込ませない壁を築き、肉親も親しい友人も作らなかった。何時もカメラを首から下げ、町で出会った人々に不躾にレンズを向けていた。極端な秘密主義、年老いてからはさらに偏屈ぶりに磨きがかかり、誰も寄せ付けなくなった。映画は大量のネガを残して死んだ無名の写真家の実像に迫る。撮影しても発表する意志はなかったのか、フィルムは管理もされず倉庫に保管されたまま。ところがポートレートは一瞬で被写体の人生を連想させる物語性を持ち、見る者の心を鷲掴みにする。彼女はいったい何者なのか、どんな生涯を送ったのか。チケット、レシート、メモ等膨大な遺品を整理し、彼女と関わった人物を訪ね、足跡をたどる旅は、精緻なミステリーのようだ。

オークションで落札したヴィヴィアン・マイヤーのネガをプリントしたジョンは、独特の味わいに興味を持ち、彼女の経歴を調べ始める。すでに亡くなっていたが、彼女が乳母をしていた人々と連絡を取る。

ジョンからインタビューを受けた男女は中年を過ぎている。ヴィヴィアンはプロのカメラマンではなく、乳母や家政婦として働きながらシャッターを切り続けていたと証言する。数十年前を思い出してヴィヴィアンの毀誉褒貶を語る彼らの口から出るのは、屠殺場、交通事故、食べ残し、フランス訛り、偽名など。みな懸命にで“いい思い出”を探そうとするが、彼女に関しては奇妙な記憶ばかりで「変人」というのが共通した認識だ。ファインダー越しにしか世界を見られなかったヴィヴィアンの孤独が浮き彫りにされていく。

◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆

確かなのは、ヴィヴィアンは愛とか友情とかいった、他人との距離感が緊密な感情を避けていたこと。だからといって世の中に対しシニカルに構えていたのではなく、写真を通じて自分を表現し理解してもらおうとしていたのかもしれない。もはや彼女の胸中を知るすべはない、だが、ひねくれた人柄こそが光の濃淡をとらえる才能を育てていたのは間違いない。2007年には0件だった検索結果が、15年7月末現在27000件を超えていた。。。

オススメ度 ★★★

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顔のないヒトラーたち

otello2015-08-06

顔のないヒトラーたち IM LABYRINTH DES SCHWEIGENS

監督 ジュリオ・リッチャレッリ
出演 アレクサンダー・フェーリング/フリーデリーケ・ベヒト/アンドレ・ジマンスキー/ゲルト・フォス
ナンバー 183
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています

アウシュヴィッツを知っているか」の問いに、街ゆく人々はみな首を横に振る。映画は1958年西ドイツ、封印されていた強制収容所での出来事を掘り起こした若手検事の奮闘を描く。ナチスの残党はまだ社会のいたるところに潜んでいる。友人の父親かもしれない。そんな状況下で被害者ですら忘れようとしている過去をひとつずつ探り当てていく。山のごとく積まれた文書を丹念に検証し、8000人もの容疑者の居場所を突き止める気の遠くなる作業をこなしていく主人公と同僚、彼らを動かしているのは思想や宗教・価値観を超越した邪悪に対する正義と良心の叫びだ。かつてユダヤ人を虐殺・虐待した“戦犯”が、パン屋や教師など“善良な市民”に溶け込んでいるあたり、「悪の凡庸さ」はどこにでもあり誰にでもあてはまると訴える。

軽微犯の裁判にうんざりしていたヨハンは、元SS隊員が法令に反し教職についているという記者のネタに飛びつき、調査を始める。強制収容所を生き延びたユダヤ人たちの想像を絶する体験談はヨハンを鼓舞していく。

目をつぶされた男の供述に事務官が言葉を失うシーンは、当時のドイツ人がいかに強制収容所に無関心だったかを象徴する。東側だったポーランドの資料は乏しかったはず、そもそも情報がなく、一部のユダヤ人活動家以外は皆口を閉ざしていたのを考えれば、ごく当然の反応だ。そして娘を人体実験台にされた男の話は聞くに堪えないおぞましさ。ヨハンたちだけではない、つらい記憶を絞り出した生存者がいるからこそホロコーストは実体を持ち、ナチスの犯罪者たちを断罪できたのだ。

◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆

ヨハンはメンゲレをメインターゲットに定めるが、間一髪取り逃がす。それでも十数人の有罪判決を勝ち取る。今日繰り返し語られている悲劇は、正しいことを為す勇気と使命感に燃えたヨハンのような英雄がいたから歴史として認識されている。それが逆に、発覚せずに埋もれた戦時中の犯罪行為の多さを物語っていた。。。

オススメ度 ★★★*

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カリフォルニア・ダウン

otello2015-08-05

カリフォルニア・ダウン SAN ANDREAS

監督 ブラッド・ペイトン
出演 ドウェイン・ジョンソン/カーラ・グギーノ/アレクサンドラ・ダダリオ/ヨアン・グリフィズ/アーチー・パンジャビ/ポール・ジアマッティ
ナンバー 174
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています

クルマが地裂に落下する。崩落する屋上から女がジャンプする。ヘリの前方で高層ビルが倒壊する。駐車場が押しつぶされる。高さ数十メートルの波の壁がボートを飲み込むetc. あらゆるシチュエーションで登場人物が極限まで追い詰められ、危機一髪の状態から間一髪で難を逃れるシーンが繰り返される。その息を飲む緊迫感の連続に、瞬きを忘れてしまった。物語は、未曽有の地震に見舞われたた大都市に取り残された妻子を救い出す救難救助士の活躍を描く。波打つ大地、飛散する瓦礫、燃え盛る炎、押し寄せる津波。大災害の渦中に自ら飛び込む主人公の目を通して再現されたこの世の終焉とも思える映像はリアリティたっぷり、臨場感あふれるサウンドとともにスクリーンから客席に押し寄せる。

ネバダ州でダムが決壊、さらにカリフォルニア州を縦断する活断層にも異変が起き、西海岸は大きな揺れに襲われる。救助ヘリを操縦するレイは、任務を投げ出してLAのビルで孤立した元妻のエマのもとに急行する。

近年のビルは耐震設計のはずだが、想定外の震度に耐えられず往復運動した後次々と中折れし崩壊していく。ケータイはつながらず情報は入らない、事態がよく分からない場合、とりあえず落ち着くまでは自分とごく身近な人の安全確保に専念すべきなのだろう。ダムで少女を助けて死んだ研究生の扱いが小さいのは、逃げ出したエマの恋人のほうがこの状況ではベターな選択だったということなのか。非常時では、わが身を犠牲にしてまで救うべき命は愛する家族だけとレイの行動は訴える。

◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆

その後、エマと共にサンフランシスコに向かったレイは、ここでも娘のブレイクの安否しか頭にない。地形が歪んだのか、津波の海水が引かず水没した街でレイとエマはブレイクを探し続ける。そんな、公私混同と思われてもエマとブレイクの救出を優先させるレイの背中は、安易なヒロイズムよりも父親としての責任の方が大切と語っていた。学者が口にした“巨大地震は確率の問題ではなく時間の問題”のセリフが、プレートの境界線近くに住む日本人にとっては切実だった。

オススメ度 ★★★

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