こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

幻遊伝

otello2006-09-02

幻遊伝


ポイント ★*
DATE 06/7/21
THEATER 角川ヘラルド
監督 チェン・イーウェン
ナンバー 116
出演 田中麗奈/チェン・ボーリン/リー・リーチュン/大杉漣
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


人は旅に出ても最後には皆生まれた場所に戻ろうとする。客死した男達は道士に操られ、盗賊となった青年は故郷の村を救うため、タイムスリップした少女は父親の思いに応えるため。しかし、この作品にはそういった望郷の念は希薄で、ただ物語の成り行き上そういうテーマを設定にしたというくらいの軽さしかない。「キョンシー」、「カンフーアクション」、「時空を超えた恋」という三題話で無理矢理構成したような展開は子供だましのレベルだ。


台北に住む今風のギャル・シャオティエははるかな過去にタイムスリップする。そこでキョンシー連れの道士と義賊のハイションらと知り合い、ハイションの故郷に盗んだカネを届ける旅に同行する。そして、シャオティエとうり二つの女義賊・青醍子と覇権を狙う浄心道士が、魔王を呼び出す秘宝を狙ってハイションの村にやってくる。


今を楽しむことにしか興味がないシャオティエが、旅を通して他人のために命を懸けるハイションと知り合うことで自分の生き方を見直す。あれだけ東京へ行きたがっていたのに、ハイションの村で暮らすうちに「こんな生活もいいかな」と思い始めるのだ。そのあたり旅から旅を続ける男と、愛する人のそばで落ち着いた人生を送りたい女の違いがよく描かれている。


しかし、魔王の秘宝を巡るエピソードは蛇足そのもの。なんの伏線もないところから突然現れた少女が宝玉をハイションに渡したことから、全く説得力のない争いに巻き込まれる。その折に、魔王がシャオティエの体に取り憑き、正気を失った彼女が見せる表情は鬼気迫るものがあったが、そこで繰り広げられる格闘アクションは全く新鮮味のないお約束通りの動きでしかない。そもそもシャオティエが青醍子にそっくりなことは全くストーリーに絡んでこないではないか。この時代に結ばれなかった青醍子とハイションが現代でシャオティエと漢方薬店の青年に姿を変えて結ばれる、というのがそもそものプロットだったのだろう。しかし、出来上がった映画は全く違うものになっていた。


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