こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院

otello2014-05-10

大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院
Die grosse Stille

監督 フィリップ・グレーニング
出演
ナンバー 105
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています

彼らは何を目標にしているのだろう。何を糧に生きているのだろう。峻険なアルプスを間近に見上げる人里離れた山肌に建てられた石造りの修道院、映画は沈黙と祈りと肉体労働という極めてシンプルで禁欲的な修道士たちの日々を追う。小鳥のさえずりと風のざわめき、足音などの生活音ばかりが院内に響き、人為的に発せられる音は修道士長の訓戒と祈祷、そして時刻を告げる鐘だけだ。会話は禁じられ、あるのは内なる神との対話のみ。“一切を退け私に従わぬものは弟子にはなれぬ”の言葉を文字通り実践する姿は、魂のレベルで浄化されるとはどういうことかを示す。

ひとりずつ割り当てられた小部屋で寝起きし、黙祷する修道士たち。食事は配ぜん係が用意し、他者と交流はほとんどない。そんな世界に志願した新人修道士は修道士長に覚悟を問われた後、頭を丸め木綿の僧衣に身を包む。

世俗を離れ、煩悩を捨て、信仰に身を投じた修道士たちはある意味非常に利己的。それは、修道士同士力を合わせるよりも、神への奉仕が悟りだからなのか。どんな気持ちで毎日を過ごしているのか、彼らはカメラの前に日常をさらしても感情や思考は一切見せず、忖度するほかない。唯一日曜の午後に許されている自由時間に他愛ないおしゃべりを交わすが、当たり障りのないジョークを口にするのみで、胸にたまった思いを吐き出したりはしない。特にハプニングもなく時間が静かに過ぎ移ろう季節に身を委ねる、そこに流れる張りつめた空気はまさに“神聖”、常人を寄せ付けない精神性こそがこの修道院を神に通じる道たらしめるのだ。

◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆

終盤、インタビューに答えた老修道士は視力の喪失に不満を漏らさず、死すら神と再会する機会と前向きに受け入れている。神に捧げた生涯、彼にとって人生とは、ただ祈りを通して神に近づく過程なのだ。壮大な自然と調和した彼らの営みは、人間もまた大いなる意志のたまものだと思わせる説得力があった。

オススメ度 ★★★*

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