愛のタリオ
監督 イム・ピルソン
出演 チョン・ウソン/イ・ソム/パク・ソヨン/キム・ヒウォン
ナンバー 287
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています
底なしの闇を湛えた黒く大きな瞳が発するのは骨まで愛したいという独占欲。初めて出会った都会の男の洗練された振る舞いと会話、そしてセックスに溺れていった田舎娘は、彼との邂逅を運命だと思い込む。しかし彼にとって彼女はほんの一時の退屈しのぎ、本気になるほど若くはない。物語はそんなふたりが中絶を機に別れ、恨みを抱いた女が真綿で首を絞めるように復讐する過程を描く。男は作家ゆえに強烈なエゴを持つ、だからこそ自己中心的な世界観に浸りつつも自分の弱さと向き合い、それを作品に昇華させる力を具えている。想像ではなく体験、恋ではなく愛憎を通じて人間の真実に迫るのが小説の神髄。主人公は自らその地獄に心身を委ねることで己の理論を実践する。
不祥事を起こして大学を追放されたハッキュは寂れた町で文章教室の講師となる。さびれた遊園地で知り合ったドクも講座に参加するとふたりは急接近。ところがハッキュにはソウルに残してきた妻子がいた。
老人ばかりの受講生の前でいきなり“若い魂を取り戻すために恋をしろ”と言い放つハッキュ。創作に必要な斬新な発想は情熱を燃やす対象がなければ生まれない、ハッキュ自身も彼の言葉通りドクとの関係を深めていく。ノーメイクで野暮ったかったドクは服を買ってもらうなどハッキュと付き合ううちに瞬く間に垢抜ける。特にプレゼントされたハイヒールだけを履いたドクが抱かれるシーンは、官能に満ちている一方で、彼女の情念がハッキュの体に絡みつくおぞましさもはらみ、彼らの愛の行方を予感させる。
◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆
やがて大学への復学したハッキュは、新作がヒットするが、享楽的な生活がたたって極度の視力低下に苦しむ。そこにセジョンと名を変えたドクが現れる。今やハッキュはドクの介助なしでは何もできない囚われの身、ドクの怒りと憎しみが優越感に、ハッキュの不安と依頼心が愛に、徐々に窯変していく。光を失ったハッキュが綴る文章に、理性を超えた男女の機微が凝縮されていた。
オススメ度 ★★*