ヴァン・ゴッホ Van Gogh
監督 モーリス・ピアラ
出演 ジャック・デュトロン/アレクサンドラ・ロンドン/ベルナール・ル・コク
ナンバー 186
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています
「情熱の狂気のアーティスト」「孤高の天才」「貧困と世間の無理解と戦う先駆者」。巷間口にされる言葉から連想するゴッホはここにはいない。わがままで気まぐれ、娼婦を買えば、若い娘に手を出したりする。さらに大量の作品を描いているが、そこには芸術的な葛藤や、才能の枯渇に対する恐れといったステレオタイプの苦悩はない。映画はゴッホの最期の2か月にスポットを当て、彼がいかに人生を楽しんでいたかを描く。確かに生前は名誉に浴しなかったが、様々な人々との交流から多大な恩恵を受けていたのではないかと思わせる。早逝を除けば。。。
1890年5月、パリ郊外オーヴェル村を訪れたゴッホは、ガシェ医師の診察を受けたのをきっかけに彼の家に出入りするようになり、娘のマルグリットと親しくなる。一方でゴッホは弟のテオからの援助をあてにして、放蕩暮らしをやめようとはしない。
絵はほとんど売れないが大して焦る様子もない。それはテオが面倒を見てくれるとタカをくくっているから。ところが、ゴッホはテオに感謝の気持ちを表すどころか悪態をつき怒らせるばかり。ガシェとの間もマルグリットを巡って気まずくなっていく。それでもゴッホは他人にどう思われるかなど一切関心がなく、自分のペースを崩さない。物語は「ゴッホ伝説」を次々に破壊して、彼の真実に迫っていく。
◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆
だが、カメラはいつまでたってもゴッホの内面に踏み込むことはない。むしろ、当時すでに精神を病んでいたとされるゴッホの心を解明するのは不可能と判断したのか、彼の行為を見つめるばかり。後半に娼館で催されるダンスパーティに延々と時間が割かれる(しかもテオ夫婦と大喧嘩した直後)が、この統一のとれた社交ダンスはいったいどういう意味があったのか。また、宿の女将が足をけがしたと大騒ぎするシーンなどゴッホの死と全く関係はない。もう少し上映時間を短くできたのではないだろうか。。。
オススメ度 ★★*