こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

星屑の町

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温泉旅館の宴会場や田舎の小学校の講堂など、一応レコードデビューはしたものの、実際にマイクを握って歌うのはショボいステージ。物語は、プロとは名ばかりのグループが芸能界に憧れる娘と出会ったことから新しい道を歩みだす過程を描く。歌い始めて最初の1年は楽しかった。だが、2年3年と経つうちに新鮮さは薄れひたむきさも減っていく。そして女に逃げられ、気が付くと10年が過ぎ、もうやり直しがきかない年齢になっている。手に職もなく転々とドサ回りして食いつないでいくしかない。弟子入りを志願する娘におっさんが滔々と語る人生は、夢を追いかけやがてそれが日常になりそのうち現状にどっぷりと浸かってしまった人々の悲しい現実。この世界で生きる厳しさと、一方で何とかなるゆるさを訴える。

母親が経営するスナックで働く愛は、歌謡グループ員の甘言を信じ、本番当日彼らの楽屋に押し掛ける。ギターを手にメンバーの前で1曲披露するが上手な素人レベル、でも彼女はめげずに弟子入りを直訴する。

リーダーの山田も村人たちもなんとか愛を説得してあきらめさせようとするが、自身の才能と未来を確信している愛は決して意思を曲げない。そんな時に起きたリードボーカルの脱退騒動。その間、小学校の教室に設えられた楽屋でメンバーと愛と村人たちの間で交わされるやり取りは目まぐるしく、テンポよく台詞が飛び交う。そのスピード感あふれる展開は、まるで演劇空間にいる気分にさせてくれる。

◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆

結局、飛び入り参加のステージでの物おじしない態度が評価され、リードボーカルも抜けたのを機に愛はメンバー入りを認められる。20代の若い娘と中年を過ぎたオッサンたちのミスマッチ感満載の昭和歌謡コピーは世間に受け、彼らはたちまち人気者になる。売れなければ意味がない、気ままにやっていればいいと言っていた男も心を入れ替え、停滞気味だったメンバーももう一度頑張ろうと前向きになっていく。ストーリーとは別に、昭和ムード歌謡の奥深さを感じさせてくれる作品だった。

監督  杉山泰一
出演  のん/戸田恵子/小日向星一/ラサール石井/相築あきこ/小宮孝泰/でんでん/渡辺哲/大平サブロー/有薗芳記/菅原大吉
ナンバー  57
オススメ度  ★★★


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シェイクスピアの庭

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遺したかったのは財産なんかじゃない。生涯をかけて磨き上げてきた文学的才能こそ、受け継いでほしかった。物語は、晩年のシェイクスピアにスポットを当て、若き日に息子を失った彼の苦悩を浮き彫りにする。20数年ぶりに戻ってきた故郷では、妻も娘たちも家族とは呼べなくなっているほどよそよそしい。しかも教育を受けられなかった彼女たちは読み書きができない。喜怒哀楽を追求する作品群で演劇界を生き抜いてきた彼にとって、語るべき夢も持たない彼女たちとは価値観が合わず物足りない。ところが、身内としてのみならず生身の人間として接するうちに、その責任は自分が負うものと感じ始める。フランドル絵画のような重厚な画作りはシェイクスピアの心理を投影し、喪ったものやもう取り戻せないものへの後悔と追想を象徴していた。

グローブ座焼失を機に筆を折ったウィルはロンドンを離れストラッドフォードに帰る。妻・アンと次女のジュディスとの暮らしを再開するうちに、17年前に早逝した息子・ハムネットを悼む庭を造りだす。

女性の権利が非常に弱く、ウィルが死ぬとアンも2人の娘たちも相続権は弱い。それゆえ男児を強く望んでいたのに、ハムネットはもういない。アンは疫病が原因と言うが、ウィルはその言葉を疑い死因の調査に乗り出す。アンやジュディスにとってはもう片付いたはずの過去、今さら掘り返しても悲しみがぶり返すだけ。だが、ウィルは教会の記録を調べ、当時を知る人々から聞き取りをし、なぜハムネットが命を落としたのか、その謎の薄皮を1枚ずつはがしていく。その間、アンやジュディスとの関係にも変化が訪れるが、妻子をほったらかしにしていた男はそう簡単には “父” や “夫” にはなれない。

◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆

そしてジュディスが明かしたハムネットの秘密。人生なんか所詮は思い通りにはならず、運命に弄ばれるのが世の常と、自身が創作した悲劇のごとき真実にたどり着くウィル。それでも真実を直視することでお互いを許し新たな一歩を踏み出す姿は希望に満ちていた。

監督  ケネス・ブラナー
出演  ケネス・ブラナー/ジュディ・デンチ/イアン・マッケラン/キャスリン・ワイルダー/リディア・ウィルソン/ハドリー・フレイザー/ジャック・コルグレイブ・ハースト
ナンバー  56
オススメ度  ★★★


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コロンバス

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非対称なのにバランスが取れている教会が立っている町。東洋人の男と地元生まれの白人女、2人ともこの町から離れたいと思っているのに、なかなか思い通りにはいかない。それでも年齢も境遇もまったく違うのに奇妙に釣り合っている2人は、町を散策するうちに少しずつお互いを理解し、教会のデザインのような関係になっていく。物語は、モダニズム建築が点在する田舎町で出会った男女の心の彷徨を描く。男はこの町で倒れた父の看病をしなければならない。女は精神的に不安定な母と暮らしている。2人とも自分の意思ではこの町を出られない。そのもどかしさを、直線と平面とガラス張りを多用した建物を評価しあうことで埋めている。計算されつくしたローアングルの端正な横長の構図と、静謐さの中に憂いを秘めた映像はあくまでも美しい。

父の急病でコロンバスに駆け付けたジンは、図書館で働くケイシーと知り合う。ケイシーはジンを観光名所にもなっている町の有名な教会や銀行、橋などを案内して回る。

翻訳の仕事の締め切りが迫り行き詰っているジン。図書館の同僚に言い寄られたりする以外は基本的に単調な日々を送っているケイシー。ジンはケイシーと町を回るうちに忙しさから解放されたいと願うようになる。ケイシーは時々携帯不通になる母が心配でたまらない。旧友に再会し都会に行けと強く勧められても言い淀むしかない切なさが、肉親と2人きりケイシーの、若さを浪費しつつも夢をあきらめきれずに生きる複雑な胸中をリアルに再現していた。静かな人生を選択するには、ケイシーはまだ経験が足りないのだ。

◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆

その後も、彼らの運命を反転させる出来事は起こらず、時間だけが淡々と過ぎていく。その間、ケイシーの視点でこの町の名建築の数々が紹介されるが、あくまでも外観のみが示される。内部の構造や設計者・依頼者の人となり、由来や特徴などには触れない。「読書とゲーム」について、興味と集中を議論していたが、この映画ももっと登場人物に興味と集中を持たせる工夫が欲しかった。

監督  コゴナダ
出演  ジョン・チョウ/ヘイリー・ルー・リチャードソン/ミシェル・フォーブス/ローリー・カルキン
ナンバー  55
オススメ度  ★★


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ジョン・F・ドノヴァンの死と生

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誰かが嘘をついている。いや、誰もが嘘をついている。まるきりの嘘でなくても、己に都合のいいように事実を捻じ曲げたり、大げさに表現したり、意図的に隠したり。それは違う自分を認めさせたいからなのか、目の前の現実から逃避したいからなのか。物語は、人気青春ドラマのスターといじめられっ子少年の文通を通じて、真実とは何かを問いかける。仕事は順調なのに私生活の不調に苦しむ俳優は情緒が定まらない。少年は転校先の小学校になじめず母との暮らしも破綻しかけている。彼らは唯一手紙の中だけで本心を明かし、いつしか顔も知らないのに秘密を共有する親友同士になっている。だが、彼らのことを語っている人物もまた虚実皮膜の間を生きる職業についている。そんな彼らの姿は、虚栄心が人間を饒舌にすると訴える。

ジョンに書いたファンレターに返事をもらったルパートは、母には黙っている。ジョンは便せんに様々な悩みを綴り、ルパートも母親との葛藤や学校での出来事をジョンに打ち明ける。

ジョンは同性恋人や母親との人間関係に疲れている。ルパートは暴力を伴ういやがらせを受けている。2人は、お互いに近況を報告しあいつつ励まし合っていたのだろう。赤裸々な思いを込めた直筆文字の数々は、追い詰められているのに親しい人に理解されない孤独と苦悩が浮き彫りにされていく。特にルパートが学校のみならず母親からもスポイルされる過程は切ない。ところが、一方で理屈っぽく弁が立つ彼が、虚言を弄して快感を覚えているような感じもするのだ。

◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆

映画は、成人となり俳優兼作家となったルパートが、新作本プロモーションのインタビュー中に内容について話す構成になっている。ジャーナリストは当然ルパートの自分語りに疑義を挟む。警察沙汰になりマスコミが大騒ぎした事件は記録が残っているかもしれないが、それ以外は手紙の真偽を始めウラが取れないエピソードばかり。すべてはルパートの創作なのかもしれない。そもそもこれは映画という壮大な虚構なのだから。。。

監督  グザビエ・ドラン
出演  キット・ハリントン/ナタリー・ポートマン/スーザン・サランドン/ジェイコブ・トレンブレイ/キャシー・ベイツ/タンディ・ニュートン/ ベン・シュネッツァー/マイケル・ガンボン
ナンバー  54
オススメ度  ★★★


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http://www.phantom-film.com/donovan/

イップ・マン 完結

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中国武術界に覇を唱え伝説の映画スターを弟子に持つ至高の武術家も、妻に先立たれ、病魔に侵され、残り時間は少ない。だが、彼にはまだ十代の息子を育て上げる義務がある。物語は、イップ・マンの晩年、米国での “最期の戦い” を描く。サンフランシスコの白人にとって、華人は劣った移民。意見はおろか目立ってもいけない。華人内部でのもめごとと、華人対白人の抗争に巻き込まれた主人公は味方のいないアウェイ戦に挑む。白人社会を刺激しないように縮こまっている旧態然とした華人社会。その殻を破って中国武術を広めようとする男は華人会幹部から白眼視されている。さらに、中国武術と軍用空手の主導権争い。“ダイナー裏で白人空手家をブチのめすブルース・リー” の姿が彼の主演作とダブり懐かしかった。

退学になった息子の転校先を探してサンフランシスコに渡ったイップ・マンは、ブルース・リーの師匠というだけで華人社会から受け入れてもらえない。そんな時、華人会会長の娘を暴漢から救う。

太極拳の使い手の華人会会長と一戦を交える一方で、中国武術を米国海兵隊に取り入れようとする華人系軍人と白人至上主義の軍人の対立が華人社会に持ち込まれたり、逆恨みした移民局の白人が華人会会長を拉致したりと、イップ・マンが行くところ次々とトラブルが出来する。このあたりいかにも香港映画らしい場当たり的な展開なのだが、“静のカンフー” と “動の白人空手” の対比を基本とするさまざまな格闘シーンが忘れさせてくれる。なによりイップ・マンに扮したドニー・イェンの、力強さの中にしなやかな様式美を湛えた流麗かつ端正なカンフー型に見とれてしまう。

◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆

白人と華人社会の全面戦争を傍観できないイップ・マンは同胞に加勢する。イップ・マンと互角の実力を持つ華人会会長を病院送りにした海兵隊員との一騎打ちは、一進一退の攻防。パワーに勝る軍人に対し、鉄壁の防御と関節技で対抗するイップ・マン。相手を倒しても表情を変えないイップ・マンの自制が美しかった。

監督  ウィルソン・イップ
出演  ドニー・イェン/バネス・ウー/スコット・アドキンス/チャン・クォックワン
ナンバー  44
オススメ度  ★★★


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https://gaga.ne.jp/ipman4/

ホドロフスキーのサイコマジック

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幼少の頃に負った精神的な傷を大人になっても引きずっている人々がいる。その原因となっているのはたいてい、父・母・兄・姉などの年長の家族から受けた仕打ち。やった方は軽い気持ちでも、やられた方の潜在意識にはいつまでも不愉快な記憶として残り、現在にまで影響を及ぼしている。カメラは、トラウマを抱えながら生きる老若男女に独特の心理セラピーを施し、症状を改善していく過程に密着する。その根底にあるのは、恐怖や不安、怒りや孤独といった負の感情。彼らは無意識の中にそれらを封印している。それ故に、夢の中ではその箍が外れうなされる。施術者は患者の原体験を探り再現、“自分は大切にされるべき人間” と自信を回復させていく。医学や心理学ではない、芸術家のみがなしえるユニークな解決法が興味深い。

自ら考案した「サイコマジック」という療法で、心理的な病巣を取り除こうとするホドロフスキー。ある者には死を、ある者には誕生を疑似体験させ、苦しむ人々の心の本質に迫っていく。

ひとりひとりに寄り添った施術は、ホドロフスキー自身にとっても実験的である。抑えきれない男性性に悩む女性チェロ奏者が生理の血をもって己の女性性を確認していく事例は特に耳目を引く。全裸の女たちに自らの股間から出た経血を指につけさせ、その血で絵を描かせるなど、希代のアーティストでなければ思いつかない発想。全身金色に染めた男が、頭に浮かんだ言葉をつれづれに口にしながらパリの街を練り歩くシーンは、羞恥心を捨て去ることが過去のくびきから自己を解放する第一歩であると訴えていた。

◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆

診察室や治療室を離れ、施術はすべて日常の中で実践されていく。医者・カウンセラー対患者の一方向的な関係ではなく、ホドロフスキーが行うのは施術者も関わる参加型療法。患者たちが実際に体験し、他者に治してもらったのではなく自らの意志の力で克服したと思わせなければ意味がない。人間心理を学者よりも深く理解するホドロフスキーのイマジネーションには舌を巻いた。

監督  アレハンドロ・ホドロフスキー
出演  アレハンドロ・ホドロフスキー/アルチュール・アッシュ
ナンバー  43
オススメ度  ★★★


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https://www.uplink.co.jp/psychomagic/

HOKUSAI

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歌麿のような女の色香は出せない。写楽みたいに役者の特徴をデフォルメする発想もない。何を描いても器用貧乏な男が、胸の奥からほとばしる情熱のままに描いたのは荒々しく波濤を立てる海。物語は、江戸時代後期、後世に名を遺した絵師の半生に迫る。人の言いなりになって描くのは嫌だった。自分の作品に手を入れようとする者は許さない。才能がありながらも食うや食わずの日々を送る主人公は、大版元に見出された後、苦悩の末自らの手法を体得、独特のタッチの富士山は強烈な印象を残す。風紀を守ろうとする幕府から目の敵にされるのは一流の証である。そんなせりふを吐いて、庶民のささやかな娯楽を奪おうとする役人に対し面従腹背を貫く版元を演じる阿部寛が、本屋の意地を誇り高く表現する。

腕はいいが覚悟が足りない春朗は、版元の蔦屋に連れられ歌麿に会うが鼻を折られる。写楽の大胆さにも嫉妬し、修行の旅に出る。神奈川の海岸で風景画こそ我が道と定め大波の絵を完成、北斎と名乗り始める。

寄せては返す波の彼方に不動の富士山が見えている。頭に浮かんだ着想を砂浜に再現するシーンは、まさに芸術の神が下りてきた瞬間。蔦屋の目に適った北斎は挿絵画家としても成功を収める。そして出会った戯作者の種彦。自由などという概念がなかった時代、それでも毎日の暮らしの中で楽しみを求める町人の気持ちを抑えきるのは不可能。北斎と種彦は戯作を通じて公儀に抵抗を繰り返す。柳楽優弥扮する若き日のギラギラした北斎より、田中泯扮する目つきに凄みを増した70歳の北斎が圧倒的な存在感を示していた。

◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆

卒中に倒れた北斎は種彦本の挿絵を断念、だがそこから冨嶽三十六景の制作を始める。老境に達してもなお意気軒高、90歳まで生きた長寿の秘訣は、今の己に満足せず常に向上心と創作意欲を持ち続けることだとこの作品は訴える。細い筆で丁寧に線を引いて下絵を描き、繊細な線に沿って版木を彫り、絵の具を塗って紙を押し付ける。多色刷り浮世絵の製作・印刷工程が興味深かった。

監督  橋本一
出演  柳楽優弥/田中泯/玉木宏/瀧本美織/津田寛治/青木崇高/永山瑛太/阿部寛
ナンバー  37
オススメ度  ★★★★


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