こんな映画は見ちゃいけない!

映画ライター・福本ジローによる、ハリウッドの大作から日本映画の小品までスポットを当てる新作映画専門批評サイト。

X-MEN ファイナル ディシジョン

otello2006-09-13

X-MEN ファイナル ディシジョン X-MEN:THE LAST STAND


ポイント ★★*
DATE 06/9/9
THEATER 渋東シネタワー
監督 ブレット・ラトナー
ナンバー 150
出演 ヒュー・ジャックマン/ハル・ベリー/イアン・マッケラン/ファムケ・ヤンセン
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています


もはや何が善で何が悪なのか色分けできないほど混迷を究め、物語の中の絶対的な価値観は相変わらず確立されないまま。人間対ミュータント、そのわかりやすい対立構造にX-MENという両者の共存を図ろうとするミュータント集団が絡むことで複雑を究める。この三極構造は、どこに共感を得るかで観た人間の思想信条がわかってしまうリトマス試験紙のようだ。X-MENを支持するのは進歩的リベラル、過激派ミュータントに共感するのは原理主義テロリスト、当然人間側はネオコン。シリーズ3作目ともなれば、そろそろ映画自体もどこを目指しているのかはっきりさせるべきだ。


ミュータントを無力化するキュアという治療薬が開発されるが、マグニートらはこれに反発してキュア製造の元になる少年を抹殺しようとする。X-MENたちは少年を守るためにマグニートの組織の前に立ちはだかる。


排除ではなく同化。ミュータントに対する人間の恐怖がより顕在化したために能力そのものを奪おうという発想は、移民に対して徹底した同化を要求するフランスの政策に似ていて、ミュータントの自由とか人権よりも人間との平等を優先させる。彼らの特殊能力が個人の努力の結果体得したものならともかく、人間との能力差は「人は生まれながらにして平等」という精神に著しく反するからだ。ミュータントの能力が平和利用できないのならば、奪ってあげる方がかえって彼らのためで、いくら自分で望まない処置を受けない権利があるといっても、能力を制御出来ない者をそのままにしておくわけにもいくまい。呪われたパワーを持ったローグが治療を受け恋人の手を握れるようになった時の安心した顔が忘れられない。


結局、マグニートは無力化されたのに何の罰も受けずにチェスなどに興じる。しかもチェスのコマを微妙に動かすことで完全にパワーを失っていないことを暗示させ、さらに死んだはずのプロフェッサーXの人格をが脳死患者に移植するシーンを挟むことで続編につなごうとする姑息さ。いつまでもジジイの野望と理想に頼るのではなく、若い者に世代交代させるべきだろう。見せ場もアイデアも満載だけれどいつも答えは先送りでは、そろそろ飽きてくる。


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