沈黙に耐えかねてっと息を漏らすおばさんがいる。白髪を短く刈り込み真っ赤な口紅と真珠のネックレスが似合っている老婆は、ディレクターの存在などまったく無視し表情を変えない。遠慮なく居眠りしいびきをかき始める老人もいる。社会的に成功しているのか、マダム風の女は苦労話風の自慢話を延々と続ける。カメラはそんな、年輪を重ねた男女の顔を大きくクロースアップし、深く刻まれたしわやほうれい線、取れなくなったシミ、白くなった髪を余すところなくとらえる。時に開いた毛穴にまで肉薄し、彼らが生きてきた時間の長さを実感させる。そこからにじみ出るのは経験に裏打ちされた自信。饒舌な者も寡黙な者も数十年にわたる思いを抱えているのだ。計算されたライティングが彼らの表情にそれぞれの人生を浮かび上がらせていた。
椅子に座ったままレンズを向けられ、数分が経過する。インタビューされるわけではなく、どう振る舞うかは対象者の自由。視線が定まらない者、はじめからカメラを見ない者、話し出す者と反応は様々だ。
ひと言も発しない老人・老婆がいるが、彼らには語るべきほどの歴史がないのだろうか。今さら愚痴を言いたくない。かといって身の上話をするのもイヤ。ひとりにつき5分以上、カメラとにらめっこしたままただ瞬きするだけのショットは、むしろ彼らにどんな過去があったのかを想像させる。いや、こんなところに無理やり引っ張り出されて顔をさらすことに機嫌を損ねているのかもしれない。元々そういう演出だったのかもしれない。どういう経緯で出演に同意したのかは知らないが、おそらくたいした予備知識はなかったかのように見える。
◆ネタばれ注意! 以下 結末に触れています◆
現代アートの展覧会に行くと、抽象的で意味がよく理解できない “解釈は鑑賞者任せ” 風のオブジェを見かけるが、この作品もその同類。あふれだす感情と表出しない感情、それをどう掬い取るかは見る者の責任なのだ。ひとりにつきワンショットで撮影された映像はさまざまな感情や記憶、そしてイマジネーションを刺激してくれる。
監督 ツァイ・ミンリャン
出演 リー・カンション
ナンバー 32
オススメ度 ★★★